戦後から現在まで。終戦記念日に考える人事制度の歴史の流れ。

20130815a

8月15日、本日は終戦記念日です。
戦後、日本は経済から生活レベルまで大きく変わりました。変わり続けました。
そこで今日は、人事制度・賃金制度に着目して戦後68年の歴史を振り返ってみたいと思います。

 

1945年~:年功序列から職務給へ。そしてまた年功序列へ。

言わずと知れた、戦後混乱期です。
壊滅的な経済の中、日本はアメリカ軍中心の連合国軍による完全支配を受けていました。
この連合国軍の司令の元、農地改革や旧指導者の公職追放など、
労働の民主化が急速に進められていったのはこの頃です。
一度、1946年10月に電産型賃金体系(賃金と年功がリンクし定年まで上昇し続ける仕組み)が確立しましたが、
日本全国に普及するまでには至りませんでした。

その後、朝鮮戦争による特需景気によって日本の経済が持ち直し、
アメリカ型の就労体系である「職務給」が一部でブームになりました。
しかし、この職務給は、日本の実態に合わず根付くことはありませんでした。
アメリカとは労働の考え方が決定的に違うからです。
アメリカ型の職務給制度は徐々に衰退し、
電産型賃金体系が一般化して広く普及していきました。

職務給とは?

仕事内容によって処遇を決める仕組みのこと。
能力ベースなので勤続年数や勤務態度は全く関係がありません。

欧州・米国の職務給

同一の仕事であれば、どの産業・企業で就労しても、
同じ賃金が適用される仕組みになっています。
これを横断賃金と言います。
世間の相場としてこのくらいの賃金であると、
コンサルティング会社などが定期的に調査して公表しているので、
職務別の平均的な賃金が最初から保証されているわけです。

賃上げの際は、この賃金を元に引き上げ要求をします。
このとき交渉をする労働組合も産業・企業を横断する組合なので、
聞き入れられなかった場合は国中のその職務に付いている人たちが
一斉にストをするという状況になります。

 

日本は「職務給」ではなく「職能給」が中心

職能給とは?

能力に応じて給与が決まる仕組みのこと。
ただし、純粋な実力型ではなく、
「長く勤めるほど経験も積んでいるのだから優秀である」とする考えがベース。
現在の年功序列制度を形成しているのがこの職能給の考え方です。

さらに日本の場合は、企業内職能給です。
業績や能力だけではなく、情意考課(勤務態度や協調性など)との組み合わせで賃金が決まります。
「仕事は優秀だけど、飲み会にこない」とか、
「いいかげんだけど、お客様に評判がいい」などの
評価が重要視されているのも特徴のひとつです。

 

1960年~:高度成長期に形成された年功序列

高度成長を背景に、大企業では年齢給や勤続給が普及しだした時期です。
中小企業では社長によるさじ加減で給与を決めるところが多く、
人事考課制度とは程遠い状態でした。

また、この時期は三井三池争議という大きな労働争議があり、
その結果、労使協調路線が実現することになりました。

三井三池争議とは?

三井鉱山三池鉱業所が行なった大量人員整理に反対して、1953年(昭和28)と59~60年に起きた労働争議。折からの安保反対闘争と結びついて大争議となったが、組合側が指名解雇を認める形で60年11月終結。

 

1975年~:右肩上がりの賃金対策に能力主義を採用

1974年の第1次オイルショックの影響で有名企業の倒産が相次いた時期です。
さらに、高度経済成長の終焉(~1973年)、日本列島改造ブーム、
そしてインフレによる物価高騰などの反動によって極端な不況に陥っていました。
そんな状況の中、上がり続ける賃金や膨らみ続ける賞与・退職金を見直そうという動きが出てきます。

 

1986年~:バブル景気で人材の奪い合い

1986年12月から1991年2月までの間に起こった、
実は実態のない好景気によってどの企業も事業拡大へと動き始めました。
新卒の応募者には車をプレゼントするとか、
内定者を連れて海外とか青田買いが横行していたのもこの頃です。
ほとんどの企業が積極的に人材を雇用していましたが、
高騰する人件費に不安を覚えるようになった経営陣は、
それに歯止めをかけるため、能力に応じて給与が決まる職能給制度を採用しました。

 

1990年~:成果主義の暗黒時代

バブルが崩壊し、「失われた20年」と言われる大不況時代へ突入していった頃です。
業績悪化に伴い、各企業はバブル期に大量雇用した社員をもてあましてしまっていました。
終身雇用制度を放棄し、大量リストラが多く行われるようになったのもこの時期です。

ちなみにリストラとは、本来は「再構築」という意味で、
単に解雇という意味ではありません。
当時は、意図的に日本語を英語に言い換えることで、
曖昧にしたり、経営側の後ろめたさを軽減させる目的で使用されていました。
しかし、現在ではこの様な解釈が一般的になり、
リストラと解雇はほぼ同義語で使われるようになっています。

大不況により首が回らなくなった企業は、
売上が下がれば賃金も下げようと考え始めます。
この考えに合致したのが、アメリカで効果があると喧伝されていた成果主義「コンピテンシー」でした。
企業はこぞってこの成果主義(しかも本来の意味とはまるで違う)を導入します。
当時のことを語った本がありますので、以下引用します。

成果主義では単年度の結果で賃金を決めるから、
2年がかり、3年がかりの研究開発プロジェクトや大口顧客の獲得戦略などが立てにくくなる。
その結果、富士通ではヒット商品が出ないばかりでなく、
製品の品質が落ちるという決定的な問題が発生するようになった。
社員の労働力が低下し、製品に対する顧客からの苦情や不満が倍増した。
自社の製品に自信を失った営業部門は、売上げを維持するために、
自社製品を他者のソフトウエアとパッケージ化して売るようになったという。
かつて「ワープロといえば富士通のオアシス」といわれた、
日本のトップ企業の姿からは想像もできないことである。
また、成果主義は基本的に半年か単年度評価であるため、
単年度では成果が出ないが、数年後には絶対に必要になるような仕事は誰もやらなくなり、
目先の数字だけを追う社員ばかりになってしまった。
年功序列型の終身雇用の時代には新入社員の教育・育成は、先輩社員の当然の義務と考えられていたが、
成果主義が導入されてからは、誰も新人の世話をしたがらなくなったという。
会社とは一定の目的をもって集団で動くものである。
新人を育てる努力をしなければ、社内の先輩・後輩関係も育たなくなり、
結局は部門の成績や会社全体としての業績にもマイナスとなってしまう。
1993年になって、富士通のほか、オリンパスをはじめ大手企業が次々に成果主義を導入したが、
この背景には当時、経団連が成果主義の徹底を促したことがあった。
これにより、各社が慌てて成果主義を導入することになったのである。
しかし、その数年後には、成果主義を取り入れた結果、
マイナス面ばかり目立つ企業が増えることになり、ほとんどの企業で見直しが行われることになった。

– 『敗者の論理 勝者の法則』増田俊男(2005年)

上記のような問題だけではなく、
大企業で認証取得が始まったISOの目標設定と混ざった無理な数値目標を強要するなど、
まったく状況に合わない制度が横行する時代でした。
まさに、成果主義の暗黒時代です。

では、本来の成果主義「コンピテンシー」とは一体どんな制度なのでしょうか?

 

アメリカを救った!?成果主義「コンピテンシー」

コンピテンシーとは?

高いレベルの業務成果を生み出す、特徴的な行動特性を見つけようとする試みのこと。
つまり、有能な社員の仕事のやり方やノウハウなどを観察・インタビューなどで分析し、
何がその人を有能な社員にしているのか明らかにしようというものです。

「この仕事をするために必要な能力は何か」ではなく、
「人間のもつ能力のうち何が高い結果を生むのか」という考え方ですね。

この考え方はプロセス重視であり、可能性ではなく現実に行っていることを重く見ます。
つまり「~ができる」ではなく、「~している」ということです。

成果主義はよく「結果がすべて」と混同されがちですが、
過程と結果に基づき評価を行うのが成果主義です。

 

2005年~:成果主義の確立と多様化

間違って取り入れられた成果主義を排除し、
本来の意味である成果主義が浸透してきた時期です。

ジェイムズ・アベグレン(アメリカの経済学者)は、
戦後の日本的経済の特徴として「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」を上げていますが、
この形が崩壊してきたのもこの頃ではないかと思います。

現在では、従来あった年功給や勤続給に加え、
月給日給、年棒制、さらにサイコロで給料を決める企業も出てきました。
まさに、企業単位で多様化・分散してきていると言えます。

 

最後に

まとめますと、

年功序列制 → 職務制 → 年功序列制 → 能力主義 → 旧成果主義 → 新成果主義(多様化)

となります。
戦後68年の間にこれだけの変化があったことに改めて驚きますが、
2013年以降も「ブーム」として制度などは変わっていくと思います。

近年はフリーランス、起業が目立つようになっていますが、
経済や会社の前提・ベースが「人」であることに違いはありません。
人がいる限り、人事制度・賃金制度の仕組みは存在します。

人事制度は経営者の考え方が反映されたものです。
つまり、経営者の思ったとおりになるのが、人事制度なのです。

ソニー創業者の一人の盛田昭夫氏の著書に、
以下のような言葉があります。

経営者の最高の義務は縁あって入社してきた社員が定年で退職するとき、
『自分は、たった一度しかない人生をこの会社に使ってきて本当に良かったな。』と思ってもらうことだ。

-『NO(ノー)」と言える日本』盛田昭夫(1989年)

ソニーの人事制度はこの盛田昭夫氏の信念が反映されたものではないでしょうか。
主義や制度にはブームがあり、その中で成功例・失敗例が数多くありますが、
それに流されずに「我が社」「自分がいる会社」を考えてみるのもいいかもしれません。